勉強が楽しくない理由|勉強は目的ではなく手段【そもそも楽しいかどうかを考えたら負け】

勉強が楽しくない理由|勉強は目的ではなく手段【そもそも楽しいかどうかを考えたら負け】

最近、自分自身も勉強して保育士資格を取ってみたり、保育所や学童のコンサルで勉強をゴリゴリ導入してみたり、学習塾の講師のヘルプをしてみたりと楽しく勉強に関わっています。

私が現在新たに勉強しているのは、プログラミングやWeb広告です。

ただ、Web広告は楽しいけど、プログラミングは楽しくない。

私は本質的には勉強は好きなのですが、なぜか楽しいものと楽しくないものに分かれます。

学生時代は、数学・日本史・生物・現代文は好きでしたが、英語・化学・古文は好きではなかったです。

同じITっぽいことでもWeb広告は好きだけどプログラミングは嫌い。日本史は好きだけど古文は嫌い…。一体どうしてこうなるんでしょう。

誰しもそうだと思いますが、楽しい勉強と楽しくない勉強がありますよね。

経験談で申し訳ないですが、自分自身の勉強の経験と、子どもたちを指導していくなかで気づいたことをまとめます。

楽しく勉強するのを目的にするな

結局のところ、自分で価値を見出して楽しく勉強するかどうか…。いや、楽しいとか楽しくないという次元を抜け出せるかが全てです。

そもそも、勉強は楽しいものと楽しくないものに分かれます。楽しいものや楽しめるものばかり勉強する訳にはいきません。

数学は好きなんだけど、確率は嫌いなんてことがあります。プログラミングでも、Rubyは好きだけどPythonは嫌いとか、保育でも、保育原理は好きだけど教育原理は嫌いなどなど。

嫌いなものは楽しい訳ありません。嫌いでもやらなきゃならんのです。

だから、楽しいとか楽しくないという次元から抜け出さないと、勉強を続けることは出来ません。

楽しいとか楽しくないという次元を抜け出すパターンは2つあります。

それは、その勉強を好きになるか、勉強を手段とした目的を持つことです。

勉強の好きな部分から広げるパターン

温泉好きの人でも、リフレッシュできれば温泉はどこでも良い人と、各地の温泉を巡りたい人、宿も込みで楽しむ人、料理も込みで楽しむ人、特定の温泉地と宿に通い続ける人など様々です。

そして好きであれば、日本の温泉地を調べまくったり、特定の温泉地の宿を全部調べたり、温泉は好きだけど何も調べない人など色々です。

私も温泉好きですが、温泉地を巡りたいタイプで温泉地は沢山調べますし実際に各地に行きます。しかし、宿や料理にはあまり興味がなく、おすすめの宿と言われても何も分かりません。

ちなみに私が好きな温泉地は、有馬温泉・下呂温泉・黒川温泉です。お湯は記憶におりますが、宿は全く記憶にありません。

しかし、誰かと一緒に温泉に行く場合に、宿を沢山調べたりするのは好きです。これは、温泉に付随するものだから、楽しくなくても延々と調査することができる訳です。

この色々調べることは、勉強するのと同じです。

まず好きなら楽しいとか楽しくないなんて関係ないんですね。

温泉をより楽しむために温泉に関連する知識をインプットする訳ですが、より算数を効率化する為に九九を覚えたりするようなもので、九九が好きじゃなくても算数好きにとっては九九を覚えるのは容易です。

既に好きなものの話をしても別に何の参考にもなりませんが、そのことを好きになる・好きにさせるのはとても重要です。

資格コレクターみたいな人は、資格取得に快感を得ているので、勉強を続けられるんです。(資格取得を目的にするのは如何なものか…ですが、それがその人の目的なら良いでしょう。)

好きになる・好きにさせる方法は、成功体験など快感を得る・与えること以外にないです。

子育て的には、褒めるというのが簡単な成功体験を与える方法ですね。褒め方は上からではなく成長を喜ぶように褒めることが大事です。

勉強を好きになれないけど、やらなければならないパターン

本題はこっちですね。

好きじゃない関連のことを学ばなければならない場合、非常に苦痛です。ここで苦痛の体験を得てしまうと、”嫌い”になってしまいます。

私の「日本史は好きだが、古文は嫌い」というのは、前述の温泉の話からすると、古文は日本史に関連しているので好きになるはずです。しかし、どう頑張っても古文は嫌いでした。

これは2つ原因があります。

1つ目は、他責ですが、学校の先生に問題があると思っています。日本史の先生は幸運にも楽しく教えてくれる先生ばかりでした。しかし、古文の先生は分かりにくい先生ばかりでした。その為、日本史は楽しく、古文は楽しくなかったです。

2つ目は、学ぶ目的を見つけられなかったことです。日本史は日本人として学ぶべきと思えたこと、そして観光が楽しくなると思えたから好きになれました。古文は、現代語訳を読めば良いと思い学ぶ目的を感じられませんでした。

もちろん、大人の今となっては1つ目は言い訳でしかありませんね。ただ、子どもにとっては結構重要です。

好きじゃないものは仕方がありません。幼少期の問題とか学生時代の問題とか学校精度の問題とか、”過去のことや、変えられないことに責任を押し付けても無意味”です。

原因論ではなく目的論でいきましょう。

勉強をする為には、楽しいとか楽しくないという次元を抜けることが大事でしたよね?それは…

やはり勉強にも”手段と目的”は大事|好きでも楽しくなくてもやれる

私の場合、国家資格の勉強は保育士試験しかしたことありませんが、まずはそのお話。学校を卒業すれば取れる保育士でも、資格試験の場合は合格率は20%程度で簡単ではありません。

また、9科目全てに合格しなければならず、さらに実技試験が2科目あり、それなりの勉強量が必要です。

保育士資格は、コンサルの仕事上で有利かなと思い取得しただけで、実際に保育士として働くことは考えていませんでした。

つまり、必要だった訳でもなく、保育が好きとか楽しいという訳でもありません。それでもそれなりの勉強量を確保できました。

私の保育士資格取得は、あくまでコンサルの仕事での集客や契約率アップが目的であり、保育士資格取得は手段でした。

この正しい手段と目的の設定が”楽しいとか楽しくないという次元を抜け出す”カギになります。

好きなものの勉強は成果に関係なく続けられると思いますが、好きでないものについては成果や見返りがなければやってられません。

苦行そのものに快感を感じるような体質でもない限り、勉強する目的がないと楽しくないことは続けるのは難しいです。

つまり、好きでもなく、楽しくもなくても、自分の将来の利益になると思れば勉強はできます。

大事なのは手段と目的の設定で、勉強すること自体を目的としてしまうと、まず続けられません。

私の例の場合、保育士資格取得を目的とすると合格できなかったかも知れませんが、コンサルでの成功という目的があったため、保育士資格取得&そのための勉強を手段として使うと自分で決意できました。

勉強は手段の手段であり、何の目的を達成する為にするのかを確認しましょう。逆にいえば目的なく勉強するのは無理です。

子育て的には、その目的がいかに重要か理解してもらうように導きましょう。

なんか当たり前の話になったが、勉強が楽しくない時には目的を思い出そう

勉強を楽しむ為には好きになるしかありません。

楽しくない勉強をする為には、目的がなければいけません。

もし今、ただただ勉強していて、楽しくないと思っているなら、何のために勉強しているのか。勉強した先にどんな良いことが待っているのかを思い出しましょう。

そうすれば、楽しいとか楽しくないとか関係ないことに気付けるはずです。

「勉強楽しくないなぁ…。」「やりたくないなぁ…。」と思うこと自体が壮絶に無駄なのです。

目的が明確であれり、その目的が本当にあなたが目指すものならば、楽しさが関係ないことも分かるはず。

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